なんJ PUSH!!

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    OB・レジェンド

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    1: 風吹けば名無し 2020/01/20(月) 09:10:07.67 ID:+Ow/0Nu1a
    原原(25) .302 32本 103打点 *9盗塁 OPS*.949
    ラミレス(35) .304 49本 129打点 *1盗塁 OPS*.951
    矢野(34) .328 14本 *79打点 *1盗塁 OPS*.897
    佐岡(24) 31試合 13完投 240.0回 17勝9敗*0セーブ 213奪三振 防御率2.44 WHIP1.06
    与田(24) 50試合 *88.1回 *4勝5敗31セーブ *70奪三振 防御率3.26 WHIP1.04
    高津(33) 52試合 *51.2回 *0勝4敗37セーブ *39奪三振 防御率2.61 WHIP1.20

    辻辻(34) .319 *3本 *31打点 14盗塁 OPS*.819
    工藤(24) 27試合 23完投 223.2回 15勝4敗*0セーブ 175奪三振 防御率2.41 WHIP1.10
    三木(25) .240 *0本 **7打点 *7盗塁 OPS*.566
    井口(29) .340 27本 109打点 42盗塁 OPS1.011
    栗山(28) .255 *2本 *26打点 *4盗塁 OPS*.617
    西村(30) .338 *3本 *38打点 35盗塁 OPS*.861

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    1:風吹けば名無し 2020/01/17(金) 21:38:00.16 ID:ID5stA/ra
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     現役時代は中日の名二塁手として活躍し「ミスタードラゴンズ」と称された中日元監督の高木守道さんが17日、急性心不全のため名古屋市内で死去した。78歳だった。葬儀は家族葬で営まれる。

     2013年限りで中日の監督を退任していた高木さんは、ここまで大きな持病もなく元気に過ごしていた。今月12日には名古屋市のCBCラジオ「板東サンデー」に出演。パーソナリィーで親友の板東英二さんとともに現役時代の思い出話を披露。同番組では来月15日に名古屋市内でイベントすることも告知されていた。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200117-00010058-chuspo-base
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    1:風吹けば名無し 2020/01/05(日) 18:25:10.62 ID:ngIBtC/t0
    小林繁は、鳥取県東伯郡赤碕町出身のプロ野球選手(投手)。
    “反骨のエース”として、トラのスターになった小林氏だが、それから4年後の'83年、13勝しながら「15勝できなければやめる」という“公約”どおり、31歳でスパッと引退してしまう。
    (Wikipedia-小林繁より)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%B9%81
    15勝できなきゃ引退とかヤバすぎでしょwwwwww
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    1:風吹けば名無し 2020/01/04(土) 17:20:46.21 ID:1Fv27Fu8a
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200103-01030039-nksports-base

    Screenshot_2020-01-04 JjV4DA7 gif (GIF 画像, 420x294 px)

    上 アテネは勝ちたかったなぁ。

    宮 あのチームは、そのまま長嶋さんが監督をしていたら勝てた。今でも悔しいんだよなぁ。

    -代行監督を務めた中畑清批判?

    宮 批判じゃないです。

    上 批判じゃない。一生懸命、やりすぎたんです。ホントに。

    宮 だって5キロくらいやせたもん。ほおがこけちゃって。雰囲気は悪くないですよ。
    でも…2死一、三塁の最大のチャンスで、左打者の藤本に回ってきた(※)。
    左のウィリアムスとは阪神で同じチーム。対戦もしたことない。

    上 左腕でクロスステップして投げる投手でしょ。ああいうのは慣れていないと打てない。
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    1: 風吹けば名無し 2019/12/24(火) 10:06:22.52 ID:l+oORhar0EVE
    上原浩治氏が語る5月引退の理由 原監督からの冷静な言葉
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    ──自らの引退について、上原浩治はそう振り返った。シーズン序盤の5月という異例のタイミングでの決断は、一本の電話が決め手となったという。

    上原:もちろん、シーズン1年間を全うしたかった。でも優勝を目指すチームの邪魔をしてはいけないし、若手の投げる機会を奪いたくない。「もう辞めるべきだな」
    ──そんな葛藤のなか、電話をかけた相手は、原(辰徳)監督でした。「突然すみません。辞めようと思います」と切り出すと、原さんは冷静な声で、「監督としては残ってほしい」と仰った。
    そしてその後、少し申し訳なさそうに、でもはっきりとこう言い切りました。「そういう話を俺はできる立場にない。球団と話をしてほしい」
    思えば原さんは、何度も僕を救ってくれました。初めてストッパーを任された時にその意図を熱く説明してくれたのも原さんでしたし、
    今季の契約の際に「上原浩治という選手は、その実績を含めて背番号なしでテストをさせるような選手じゃない」と球団に掛け合ってくれたのも原さんでした。
    原さんなら、何か前向きになる言葉をくれるのではないか──どこかでそう考えている自分がいました。その原さんに、冷静に、言い方は悪いけれど突き放された。これが辞めると決心した瞬間でした。
    「やっぱりそこまでチームに必要とされていないのか」という悔しさと同時に「戦い終えた」と実感しましたね。プロにとって引退とは、自分が結果を残せなくなったことを受け入れるプロセスなんだと思います。

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191224-00000002-pseven-spo

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    1:風吹けば名無し 2019/12/21(土) 07:04:15.11 ID:qhieYBwna
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    戸惑いの連続で、一日があっという間に過ぎていく。
    サラリーマンとして第二の人生をスタートさせた島袋は
    「野球とは全然違う疲れ方ですね。覚えることが多くて大変です」と苦笑いした。
     入社したのはサポートギアなどを扱うメーカー「アスリートビジョン」。販売員として東京、横浜の店舗で働いている。
    「僕がプロに入ってから肘のサポーターなどを使わせてもらっていた。興味がある分野だったので、決めました」と話した。

     生活拠点を東京に移し、妻を沖縄に残しての単身赴任生活。
    「通勤時間の満員電車が本当に苦手」と、朝は自宅を出る時間を早め、各駅停車の電車で座席を確保する。
    食事面の苦労も多いが「米だけ炊いて、総菜を買っています」。
    学生時代にアルバイト経験もなく、パソコンの使い方から学んだ。
    「エクセルって何だろう」というレベルからのスタートだったが、メールや資料のプリントアウトなどはこなせるようになった。

     興南では10年にエースとして甲子園春夏連覇の立役者となり、沖縄は「トルネード旋風」に沸いた。中大を経てソフトバンク入り。
    プロでは1年目に2試合に登板したが、2年目以降は1軍に呼ばれることはなかった。
    「春夏連覇がなかったら、あの後の僕はなかった。プロでは結果が出なかったけど、悔いはない」と5年間のプロ生活を振り返った。

     将来の夢は、故郷の沖縄で野球の指導者になることだ。
    興南の我喜屋優監督からは「(指導者の)道の中に興南もあるよ」とエールを送られたという。
    プロでは左肘を手術するなど、リハビリ生活も経験しただけに
    「プロで教わったことがたくさんある。指導者になれば経験したことを言ってあげることができる」と自身の体験談も指導に生かす構えだ。

     11月に一度、沖縄に帰省し、故郷への思いを再確認した。
    「僕にとって沖縄は特別な場所。甲子園は想像はできないけど、やるなら上を目指していきたい」。
    まずはサラリーマンとして野球以外の世界を勉強し、視野を広げる。
    そして、母校を率いて甲子園の頂点へ。島袋の新たな挑戦が始まった。

    https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/12/11/kiji/20191210s00001173420000c.html
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